離れてみること
私は今、大好きな夫と息子と離れて生活しています。
決断は、私がしました。
持病が悪化してしまい、普通の生活ができなくなってしまったために夫とも息子とも向き合えなくなってしまったのです。だから、辛いけど一度2人から離れて生活してみることにしました。自分を客観的に見るためにも、治療法を見つけるためにも自分を少し休ませるためにも…その休むということのやり方もおかしいのだろうから、その休む方法の見直しのためにも決断をしてみました。
自分で決断したとはいえ、やはり寂しいものですね…。
でも、本当に必要な時間であったと感じます。
色々と考えすぎていたことも分かってきたり、見直すべきことも出てきて…。
気付かされることが沢山あります。
今の病状が良くなるまでは「時間がかかる」と言われました。
それでも、生きていくため…家族で生活していくためには、乗り越えなきゃいけません。
だから、私は今、その方法を毎日考えています。
今、息子が1人いますが夫と話し合って、この子をひとりっ子として大切に育てていくことにしました。
持病の影響力が大きいのもあります。
だから、持病になんか負けないで3人で笑っていたいです。
今回、離れてみて思いました。
この障害に振り回されてでも3人で幸せに笑っていられるならそれでいい…と。
苦しみは、時に幸せをくれる…。
長い夜
眠れない夜…。
睡眠薬を飲んだのに眠りにつけない。
何か分からない不安に押し潰されそうになる。
ただただ、恐怖とのたたかい。
流産してから、落ち込みが多くなった。
気持ちは少しずつだけど、前を向き始めているのに体がついてこない。
何か分からないけど、不安とふかーい悲しみに追い込まれる。
苦しい…。
何度も、「流産だね」と言われたあの瞬間とお風呂で「ごめんね…」と泣き続けたあの日のことがフラッシュバックする。
なぜ…私の赤ちゃんだったのだろうか。
何か、意味はあるのだろうか。
なんとなく…分かるような気がしているのが怖い。
もう、戻ることのできない時間。
幸せだったあの時間。
どこか、疲れはてた自分がいる…。
どうしたらいいんだろ…。
大きな幸せと小さな命
久しぶりの日記。色々ありまして、少しの間遠ざけておりました。
2月26日。お腹に赤ちゃんの姿が確認できて、心拍もわずかながら確認できて、妊娠が確定されました。
しかし…3月5日。その日は、出産予定日を言われる予定でした。
ワクワクしながら病院へ行きましたが、告げられたのは…「流産」でした。妊娠7週の早い段階での流産でした。エコーでは、子宮内に出血がたまり始めているのが分かりました。原因として考えられるのは、赤ちゃんの染色体異常ではないかとのことでした。
言葉も出ず、頭の中が真っ白でした。夜には、お風呂の中で少しだけ膨らんだお腹にただただ「ごめんね…ごめんね…」としか言えず、現実を受け入れることができませんでした。
翌日…手術を行いました。全身麻酔をしての手術。起きたときには、お腹の中は空っぽで…でも、涙は出ませんでした。
何もかもが空っぽで、涙すら失っていました。その後、3日ほど経ってからノートにいろんな思いを書くと自然と涙が出ました。実感がわいたというとちょっとまだ違う気がしますが、少しだけ現実を見た気がしました。
長男がいるので、普段は笑っていますが夜になったりひとりでいるとやはり現実が見えてしまい苦しくて落ち込んでしまいます。
小さくて、愛おしい命。
私の家族みんなに幸せをくれた小さな命。
守れなかった小さな命。
会いたかった小さな命。
この苦しみは、きっとしばらく消えないことと思います。でも、現実を見れば長男や夫、そして他の家族がいるのでその家族を守るためには受け入れることが必要です。少しずつ。少しずつでいいから、受け入れたいと思います。そして、守るべき目の前の人達を守りたいと思います。
ほんの少しではありましたが、幸せな時間をくれた天使に今は「ごめんね…」ではなく「ありがとう」を伝えたいと思います。
ありがとう…。
役立たず
「役立たず」
今日、夫に‘’役立たず‘’について教えられた。
鬱になるとつい、自分が役立たずで何もできないからいる意味のない人間、つまり存在価値のない人間だと思ってしまう。だが、それを夫に言ったら「○○は、役立たずじゃない」と言われた。
まあ、この答えはよくある答えとも言える。落ち込んでる人を励ますという意味では、よく使われる手段である。でも、夫の答えには続きがあった。
「‘’役立つ‘’っていう言葉には、行動的なものと精神的なものがあるんだ」と。つまりは、行動して役に立つものと存在しているだけで心の支えになることや存在することで何かを相手に取得させることの役に立つというものがあるということ。
夫は、障害者支援施設で働いているからそういう答えが出てくるのかもしれないというのもいちりあるけれど、夫自身の答えとしてその答えは存在するようにも思えた。
たしかにその答えは間違ってはおらず、納得のいく答えではあった。たしかに自分も存在価値を考える時にそういう考え方をしていることに気づいた。
正直、存在価値を自分に感じないところはまだあるけれど、夫の考えを受け入れて少なくとも家族の存在価値のある人間でいようと思った。
‘’ただ、そこにいるだけで存在価値のある人間‘’
難しいとは思うけれど、できないことではないと思う。鬱だと、どうしても落ち込んで自分に存在価値を感じなくなることがよくあるけど、自己肯定感を高めるように存在価値も高められると思う。
苦しいこともある。「疲れたぁ…」って思うこともある。
でも、誰かの役に立てることでそんなことも吹っ飛ぶ気がする。そして、自分自身が明るくなれる気がする。
またもや、夫に気付かされた。
感謝感謝…ありがとう♥️
あたりまえ
「あたりまえ」
‘’あたりまえ‘’と思っていたことが、本当はそうではなかったというのはよくある事と思います。
今日、私はそれを実感した日でした。
持病の調子が悪くなり、家族の協力無しでは生活が難しくなっていた私は今日の通院で主治医に家族に協力してもらっていることを話すと…
「家族の協力があって良かったね😄家族もあなたも頑張ってるね😄」と言われたんです。
その時、私は‘’ハッ( ゚д゚)ハッ!‘’としました。
‘’家族の協力‘’があたりまえになっている自分がいたことに気づいたんです。家族は、協力し合うもの。でも、それは‘’あたりまえ‘’ではないということ。それを忘れていました。
誰しもが協力してくれて、誰しもが協力するものと思っているわけではないということ、誰しもが協力できるわけではないということ。
そして、協力をしている人も頑張っているということ。
自分だけが病気と向き合っているのではないということ。
そのことを今日、主治医のひとことで気付かされました。そして、改めてより強く家族の協力に感謝の気持ちがわきました。苦しいのは、自分だけではないということ。頑張って向き合っているのも自分だけではないということ。
日々の家族の協力に感謝感謝…ありがとうございます♥️
感謝感謝
夫へ感謝♥️
15日から、夫が育児と家事と仕事を両立して大半のことをこなしてくれています!!私はというと、体調が悪いためほとんど横になっています。
今まで、上から目線になりますが夫が育児に積極的とはいえ、家事と仕事を両立しながらは正直なところ「無理だろう」と思い込んでいました。
ですが、渋々こちらも心を決めてお願いをしてみるとなんとこなしてくれました😄❣️❣️
朝…起床から始まり、息子の着替えや体温、朝ごはんをあげてから私と保育園へ送って帰ってきたらご飯を食べて家の掃除。因みに掃除は、トイレ、お風呂、モップがけ、ハンディーモッブ、掃除機です。それが終わって時間になったら出勤。
昼…仕事
夜…仕事が終わり次第帰ってきたら、私と保育園へ迎えに行って帰ってきたらご飯をあげてから、自分がご飯を食べてその後お風呂に入れて、寝かしつけ。
これをすべて、ここ数日こなしてくれています。
正直「うちの夫には無理」と思い込んでいたので、申し訳なくなりました…😅「ここまでやってくれるか❣❣」と惚れ惚れしてしまいました🥰
やってもらう前から、疑うもんじゃないですね…😅反省しました…。
早く体調を戻して、今度はもっと夫とやることを細かく分担してやろうと思います!!それを気づかせてくれた夫に感謝♥️体調不良にも感謝…かな(笑)♥️
小さな幸せ
隣で息子が。その隣で夫が。
フゴーっといびきをかいて寝ております(笑)つい、この時間のこの寝息を聞きたくて起きててしまいます☺️
このふたりの寝息が幸せを運んでくれます❣️❣️
つい、フフフッと笑ってしまう小さな幸せ☺️💓
病気のことで納得がいかないことも多々あるけれど、この寝息を聞くといろんなことがどーでも良くなって吹っ飛んでいくんです。
「ママ」と言いながら、トコトコヨチヨチ歩くようになってきた息子。
明日も、その姿がみたい❣️❣️楽しみの中で迎える朝は幸せです。
動けない私を全力でフォローしてくれる夫。
夫のいびきは素晴らしいほどにおおきいですが、普通なら「うるさい」と思うのでしょうが、私は幸せのいびきに感じます😁💓
動けない私を文句言わずに頑張ってくれてる夫。
見習わなくてはいけませんね🥰
睡眠薬を2錠も飲んだのにこない睡魔。
私の頭はどーなってるんでしょーね。
とりあえず、布団でゆっくりします
おやすみなさい💤