🌻再出発🌻
ご無沙汰しておりました。ひまわりです。
タイトル通り、「再出発」ということでまたブログを始めようと思いました。
再出発。
というのは、実は以前望んでいた待望の2人目の子を昨年の9月に無事にお腹に迎えることができ今年の5月21日に出産いたしました。
その時点で、もうすでに新たな人生の再出発ではありました。
しかし、それだけではありませんでした。
出産と同時に我が家の家計管理並びに我が家の全てにおいての管理を任されたのです。
我が家は、現在よくある核家族世帯ではなく私から見て義祖母・義父・夫・子2人・夫の弟2人・私の8人家族なのです。
私の生活はガラリと変わりました。
正直、混乱だらけでした。
今でも、混乱だらけの日々です。
それでも、なんとかやっていこうと必死に喰らいつきました。
必死に喰らいつきながらも、なんとかここまでやってきました。でも、必死にやりすぎたようです…。今月に入り、持病が悪化したのです。
主治医からは、「踏ん張り過ぎたんだね」と言われました。必死に食らいついたのは良かったものの、必死になりすぎて我を忘れてしまっていました。
酷いうつ状態。
普段のうつ状態とは違って、立ち直りには時間がかかるだろうとのことでした。
「危険な状態」とも言われました。
正直、「何をやってるんだ」と思いました。
「情けない」とも思いました。
でも、過去を悔やんでも仕方がない。
そう思うことにしました。
なので、また新たに再出発をしようと思ったのです。前の自分に戻る必要はない。新しい自分を作り出せばいい。
新しく、道を作って前に進めばいい。
ということで、新しい私をまたよろしくお願い致します。
いつか
いつか、2人目の子を迎えたい。
流産をしてから、早くも5ヶ月が経ちました。
長いようで、とても早く感じた5ヶ月。苦しんだ時期もありました。
それでも、やっぱり『2人目の子を迎えたい』と思いました。
障害があり、大変なこともあります。それでも、夫とその家族と協力しあいながら生活をしていくことに意味があるように感じます。
流産をして、大きなショックを受けましたが沢山のことを学ぶ機会になりました。そして、1人目の子と改めて向き合う機会にもなりました。
夫とも改めて、更に向き合うことができました。
家族と向き合う機会ができたことが良い経験になり、2人目を迎えることへのもっと大きな力をつけることができました。
まだ、お腹には来ていませんがいつか来る日がくることを願ってさらなる力をつけてガンっとかまえて待っていようと思います。
在る
殴った。
何度も何度も…。
自分をただただ、殺したくて…。
「死ね」って思いながら…。
助けはない。
分かっていた。
それでも良かった。
精神疾患になって、一生薬を飲みながら向き合い続けなきゃいけないのはこの病気になったときから分かっていた。
分かってはいたけど、簡単ではなかった…。
精神疾患になって、8年になるけど毎年…死のうとしている。たぶん、これからも起こることだろう。
それでも、前に進まなきゃいけない。
治ることのないこの障害は、毎年形を変えながら私に試練と苦しみを与えてくる。
毎年…自分の本心とは反して死ぬことを恐れている。私の本心は「生きたい」だけど、症状が出ればそれは消えてしまう。
“どうしてここにいるのか…”
毎年、考えている。
双極性障害。社交性障害。注意欠如多動性障害。
私には、無縁のものだと思っていた。
生きてる意味さえ忘れさせる障害。
恐ろしい…。
家族とともに生きたい。
笑いたい。
幸せでいたい…。
母のかわり
遅くなりましたが、母の日に夫の母代わりである義理の祖母と子供について話しました。
私は、「ひとりっ子で育てる」と言ったけれど決められないでいることを伝えました。
すると祖母は、「決めなくていい」と言ってきました。時間がかかってでも、自分たちが「今かな」と思ったタイミングで妊活を始めればいいと。
だから、夫とも話し合ってひとりっ子は保留にすることにした。
話してみるのもいいものだなと思った、良い母の日の時間でした。
キス
夫にこれまでで一番のキスを贈りたい♥
このブログの「ひとりっ子」にも書きましたが、「人生、思い通りにならない」という言葉。
ホントにそうである。…と、実感を今している。
「死ぬかもしれない」
しかも、それは自分の意志ではない自殺で…。
「そんなものが存在するのか?」と思う方もいるかもしれませんが…あるんです。上手くは、説明できませんか…。
つい、数日前まで私はそれに直面していました。
苦しくて、苦しくてたまらない毎日で…1人いる子供とも上手く向き合えないくらい病状が悪くなりました。
そこで、夫と話し合いをして単身で実家に帰って療養をすることにしました。
夫は、その間もその前もほとんど1人で子供の育児をやってくれました。向き合えない私を責めることもせず、一緒に悪化した病状と向き合ってくれました。今も、向き合ってくれています。
そのおかげで、今、私の病状は良好に向かい始めています。「生きたいけど死にたい」という自殺願望も消えて、前向きに人生を見るようになりました。
本当に夫には、「ありがとう」だけでは足らないほどの気持ちでいっぱいです。
ありがとう…♥
ひとりっ子
先日、夫と話し合いました。
そして、今いる息子をひとりっ子で育てることにしました。
理由はいろんな言い方がありますが、1つにまとめるなら「私が障害があるから」ということです。
このような言い方だと「障害があっても…」というご意見が出るかと思います。
そのとおりではあります。ですが、私共夫婦には「難しい」という判断になりました。
一番、決定的理由ができたのは流産後の私の障害の症状の悪化した理由でした。
2人目を妊娠してから私は、薬を全く飲まない手段をとりました。それを約1ヶ月ほど続けました。
正直、「辛い」の一言でした。
毎日、体がしんどくてたまりませんでした。でも、お腹の子を産みたくて耐えました。
その日々を送っていた為に体の中から薬の成分が無くなった状態になっていました。しかし、流産後病気の症状が悪くなってしまったときにそれがとどめを刺してきました。
病状が悪くなってしまった私の体は抵抗できる薬の成分が無くなった為に悪化する階段をジェットコースターのように登っていきました。
何が言いたいか…。
私は、体から薬を抜くことができないということ。それは、子供にリスクがあります。
お腹の子だけじゃなく、今いる子供にも…。
そして、周りを巻き込んで大変な思いをする。
今の私がそれです。
もう、こんな苦しい思いはしたくありません。
子供は、可愛いし一緒にいると幸せを感じます。
でも、自分が苦しんで周りを大変な思いをさせて…そして、今いる子供に辛い思いをさせてまで2人目を望もうとは思いません。
「可愛そうだ」とか言う人もいます。
でも、その子を苦しめることのほうがずっと可愛そうだと思う。
3人で、幸せに笑っていることのほうがずっといい。笑って生きていたい。
笑顔も涙も…3人でできればそれでいい。
思い通りにならないことが沢山あるのが人生。
でも、どんなに障害に振り回されてでも3人で乗り越える生活ができればそれでいい。
苦しんでもいい…この命がある限り…3人で繋がっていたい
ひとりっ子でも、可愛そうなんて言葉は存在しない。命がある限り、いつでも遊べる私がいる!!
みんなの笑顔のために笑って、踏ん張って、蹴って、飛んで、走り回る。
頑張る…