しょうがない
『しょうがない』
私は、まだ自分自身の状況を受け入れられていないことに今日、気づかれた。つまり、今日までは自分自身の状況を受け入れられていると思っていたということ。
きっかけは、『しょうがない』という言葉でした。
躁うつ病である私は今日は、やや強めな鬱状態になりました。そうなったことを夫にLINEで伝えると夫から来た返信の中に『しょうがないねー』という言葉があった。
私は正直、イラッとした。『しょうがないって何?』と。
鬱状態で苦しくて辛い事がしょうがない?
理解に困った。
でも、よく考えた。
そして思った。私はまだ、受け入れてないのだと。
理由は、『しょうがない』ということは悪いことではなく良い意味で『(障害があることを)諦める』ということだ。障害を自分の一部にするということ。なってしまったからには受け入れていかなくてはいけない。
正直、辛い現実。だって、なりたくてなったわけではないから。
障害になって10年になる。もう、いいかげん受け入れるべきなのだと思う。1人の妻であり、2人の母である私。受け入れて、前を向かなきゃいけない。いつまでも、過去にこだわってても仕方がない。
前を向いて明るい未来を見ないと。
障害と生きていく。
『しょうがない』
これが私だ。
子どもの数
みなさんは将来、何人子どもがほしいですか?
私は、1人目を妊娠するまでは『何人』とは考えていなかった。いざ、1人目を産んでから周りから『3人はいた方がいい』とか『(身内に)3人は見せてやれよ』とか『最低でも2人は』などと人数の話しをされるようになって考えるようになった。
最初はというと、『1人でいい』だった。
自分の体のこともあったから。1人で十分だと思った。
でも、月日が経つに連れて2人目を意識するようになった。
それは、あまりにも1人目が可愛かったからである。
そして、2人目を妊娠。1度、流産を経験して『こんな思いをするなら1人でいい』と思った。でも、『やっぱり』となり再び妊活。そして、2人目を出産することができた。
しかし、『3人目は…』とはならなくなった。2人目を出産したあとはあったが、今はない。
1人目のときにも考えた体の事が引っかかるようになったからだ。周りの3人目を見ると『いいな』とは思うけど、やはり違う。金銭的な厳しさも正直あるが、体の面がやはり大きい。
夫も私も納得した上で『2人でいい』となった。だって、そもそも子どもがいることが奇跡でその奇跡を2回も経験した。そしてその奇跡の2人が未来に進んで歩んでいる。こんな幸せはないじゃないかと思うから。
と、思っているのに周りから『3人目』の圧がすごい。
『そのうち、3人目欲しくなるから』と言われたときはイラッとしてしまった。『もう、欲しいよ』と。体のことや金銭的なことを説明したときにもそう言われた。『変わるから』と。間違いではない。考え方が変わることは誰しもあること。
でも、なぜ『2人でいい』ということに賛成されないのだろうか。私は、不思議でたまらない。1人でも奇跡なのに。
だから、将来何人子供がほしいかを考えるのはあたら前だしいいことだと思う。でも、現実になったとき決めるのは自分たちである。まわりじゃない。
当たり前のこと。でも…どうして、その当たり前のことが分かっているのに圧をかける人がいるのだろうか…
私は、今いる2人の子どもたちを誰よりも愛して育てたい。体は、正直いいものではない。障害はある。でも、それでも母親になることは悪いことじゃないんだから堂々と生きたい。大変なことはある。だけど、それは子どもたちに悪影響になるものじゃなければいいと思う。
子どもを愛して育てることに障害は関係ないと私は思う。
あの日…
人は誰しも思うだろう。
『あの日に戻れたら…』と。
でも、時々そうは思うけど結果は同じになるだろうということもある。
私はある。
それは、『あの日に戻れたら…』は夫に恋をしたあの日。
夫と結婚して後悔したことはない。今も、私のかけがえのない存在。だから、あの日に戻っても変わることはない。
でも、あの日私が夫に恋をしなかったら…と思うこともある。
こんな私が恋をして結婚して子どもまでできた。キセキでしかない。あの日に戻れたら…あの日、もし迷ってる私に会えたら、『大丈夫。この人となら幸せになれる』と教えてあげたい。
あの日、恋をした。
その人は、私に奇跡と希望をくれた。
そして、私に未来をくれた。
その未来は、険しく長い。
でも、その人は私に一滴の涙と一緒に教えてくれた。
『手を離さない』と。
支える存在
最近する夫が精神面で体調を崩した。
でも、私は妻として最低なことをした。
夫の体調不良を理解できていなかった。
自分のことでいっぱいいっぱいになりすぎて、全然、夫のことを考えてあげられてなかった。
妻として本当に最低なことをした。
夫が好きで、とっても大切なのに…。
結婚して5年目を迎えた今年。
結婚してから、1番最悪なことをした。
本当に最悪なことをした。
夫婦でありながら、耳を傾けず理解しようとしていなかった。
変わらなきゃいけない。
夫を支える妻として。
家族を支える人間として
夢と現実
夢と現実
多くの人たちが夢をもつ
私も夢を持った
それは、1度ではない。何度も。いろんな夢を持ってきた。
でも、誰でも夢を持つ人がぶつかるもの。
それが『現実』
私は、若い時から『子供は3人ほしい』という夢を持ってきた。
いざ結婚して、2人の子を持ってそれは強くなった。でも、現実とぶつかった。それは、『本当に3人持つことがいいことなのか』ということ。3人もつことは、にぎやかにもなるしかわいい愛おしい存在が増えるとってもいいこと。でも、自分たちの現実はどうなのだろうか。2人だから悪いということもない。
経済面。健康面。精神面。多くの面が存在する中で、『本当にやれるのか』ということが出てくる。何を1番の決め手にすればいいのだろうか。迷う。
『子はほしいだけで作るものではない』というのは分かってる。
でも、『ほしいと思わずに作るものではない』というのも現実としてある。
現実が上手く読めないでいる。
こんな私は母親としても妻としても良くない。
そう思っている。
でも、じゃあどう変わればいいのだろうか。
険しい道
私は、双極性障害をもちその障害とともに毎日を過ごしています。
障害をもってから、もう少しで10年になります。
この障害を受け入れて自分の一部だと思って生活をするようにしています。
しかし、10年という年月が経っても思ってしまうことがあります。本来なら、そう思わずに生活をしたほうがいいのだろうと分かってはいますが…やはり、「健康な体が良かった」と思ってしまうことがあります。
どう頑張っても、障害に勝てないことがあります。そうなると本当にどん底に突き落とされたようになる。
育児も家事も難しくなってしまいます。
健康な体だから必ずしもいいというわけではないのはわかっています。
でも…やっぱり…元気な体が良かった…。
10年という道のりは険しく辛い道のりでした。しかも、今でもそれは続いています。
この道がなだらかになることはない。
でも、なんとか生きていきたい。少し前の私は、いつも「死にたい」と思っていました。
今は、それはなくなりました。
そうなれたのは、子どもたちの存在や夫の支えが大きくあります。ひまわりのように太陽を見てまっすぐ長く、そしてひまわりの葉のように少し寄り道をしながらでもいいから前向きに生きていきたい。
いつか、この体でいいんだと思える日がくると願って…